概要
summary
商用利用スタートから25年=4半世紀以上の時を経て、新たな局面に突入し始めたインターネットの希望と危機を改めて検証し直す論考集。果たして私たちはインターネットの可能性を引き出し切れているのだろうか?ひょっとするともっと可能性に満ちた活用の仕方があるのではないか?だとすればどんな発想が必要なのか?それが阻害されているのであればその要因とは何なのか?私たちは今、インターネットに対する認識のバージョンアップを迫られている。
目次
contents
- はじめに
第1章 インターネット第1四半世紀から第2四半世紀へ
- インターネットの次なる四半世紀に必要な「三つのエコロジー」
- インターネットはもう第2四半世紀の段階に突入している
- GoogleやAmazon、Appleが変えた本当のものとは何か?
- 環境化したインターネット、血肉化したインターネット
- フェリックス・ガタリが提唱した「エコゾフィー」の思想
- 創造産業の時代から予測産業の時代へ
- 国際会議「TACIT FUTURE」における先鋭的な問題群
- あらゆる創造産業は情報産業であり、同時に予測産業である
- 「情報」の解析に「願望」を差し挟まない人工知能の優位性
- インターネット第2四半世紀には問題の定立軸が変更を迫られる
- プライバシーという「資源」、そして二十一世紀の環境破壊問題
- 鉱物資源や海洋資源などに代わる二十一世紀の最重要資源とは?
- シリコンバレーに対するEUからの宣戦布告=GDPR
- 人間と資源をめぐる悲喜劇はいつの時代にも再現される
- インターネット第2四半世紀における新たな「環境問題」とは?
- テクノロジーの社会実装と、社会という生体の免疫システム
- 未来は「夢想」するものから「実装」する段階へと突入している
- 新しいテクノロジーへの免疫性を発達させた社会は存在するか?
- 「自己」を規定しているのは脳ではなく免疫システムである
- はたして社会という生体システムは「超システム」たり得るか?
第2章 過渡期における諸問題
- 「Post-truth」は「そもそも真実とは何か?」が問い直される時代
- 私たちが置かれた情報環境を見事に言い当てた新しい「ポスト」
- 「Post-truth」の真の意味は「Truth」自体を疑うことである
- インターネット第2四半期を読み解くための思考や言葉の必要性
- 現代は情報過多の時代ではなく、情報不足の時代だった
- デジタルメディアはユーザーの参与が不可欠な「冷たいメディア」
- 現在起きているのは「情報の爆発」ではなく「組み合わせの爆発」
- 情報はアナログからデジタルに変換された際に減少する
- “情報が多すぎて息苦しい”のではなく“情報が少なすぎて息苦しい”
- 人類独自の「知性」とAI固有の「知性」
- 人工知能はAutomaticな機械ではなくAutonomousな知性
- 映画「メッセージ」に描かれる“人間とは異なる知性”との出会い
- 「ジョン・ウィルキンズの分析言語」におけるボルヘスの寓話
- 人間とAIとの「共存」を超えた「共栄」はあり得るのか?
- 公共圏と無関心―コミットメントとデタッチメント―
- 禁止事項ばかりで誰も利用していない公共圏の存在意義……
- ロバート・モーゼス vs. ジェイン・ジェイコブズ
- ジェイコブズが提唱する都市と街路に必須の条件とは?
- コミットメントの限界を描き出した映画「デタッチメント」
- デタッチメントを積極的かつ、ポジティブなものとして捉え直す
第3章 インターネットイメージの刷新
- 「インターネット的生命」と「生命的インターネット」
- デジタルネイチャーはユートピアなのか? ディストピアなのか?
- 「私」がインターネットで、インターネットが「私」
- 情報システムは常に樹木や人体に喩えられ擬えられてきた
- 第2四半世紀のインターネットを読み解くカギは生命モデル
- 点ではなく線(=糸)としての人間、織物としてのインターネット
- 私たちは古いインターネットのイメージモデルを引きずっている
- 人間は点ではなく線 (=糸) であり、インターネットはその編物
- 網の目(ネット)とは点の連結ではなく線の絡み合いである
- 一人一人のテキストがテキスタイルとなり、テクスチャーを生む
- インターネットは情報の「大海」ではなく「沿岸」である
- 私たちはいま、「人間」という存在の再定義を迫られている
- 情報の大海というインターネットのメタファーを再考する
- 文化は多様な情報が行き交う「沿岸=境界」でこそ発生する
- インターネットの最大の利点は非最適解が持つ価値への気付き
- 「結果」ではなく「過程」こそがインターネットの最大の価値
- 彼岸と此岸が交差するメディア空間としての紀伊半島
- 聖なる場へと通じる熊野古道というネットワーク
- インターネットを従来とは異なる何かに喩えるということ
- 「結果」の価値を上回る「過程」の価値を再び蘇生させる
第4章 イノベーションのための新たなパースペクティブ
- イノベーションは既存のテクノロジーの「編集」によって生まれる
- インターネット第2四半世紀に起こるのは技術の予期しない融合
- 既存のテクノロジーを寄せ集めて「編集」したグーテンベルク
- 「未来」は“いずれやってくる結果”ではなく“そうなりつつある過程”である
- フィルターバブルを乗り越える「ディープ・ハイパーリンク」
- ますます深刻化するパーソナライゼーションの弊害と危機
- イノベーションとは存在している事物/事象の編集的な組み合わせ
- 豊穣なハイパーリンクの生成は新種のタグの発明にかかっている
- サイエンスとアートのハイブリッド的視座
- 夏目漱石と寺田寅彦に通底する「科学観」と「芸術観」
- 科学「的」ではない視座から科学を芸術「的」に把捉すること
- 科学者にも芸術家と同様の編集的な「直感」が不可欠である
- 今後のテクノロジーに対して求められる「美的」な評価軸
- テクノロジーにおける「開発意図」と「使用用途」との乖離
- Uberの自律走行車事故が突き付けた「社会実装」の困難性
- 「開発者の理想的な用途」と「利用者の現実的な用途」は非対称である
- エジソンは蓄音機を音楽再生メディアとして定着させたくなかった
- 社会はいかなる判断によって新しいテクノロジーを受容するのか?
- 「公開」よりも「秘匿」のテクノロジーが創造的になっていく
- より多く、より速く、より遠くに……というメディアの基本的特性
- 情報技術は常に「公開」と「秘匿」の二つの方向で進化してきた
- 「情報の公開」が主役の時代から「情報の保守」が主役の時代へ
- 日本人と「鍵」の文化、そして「ブロックチェーン」の可能性
- インターネット第2四半世紀が生んだブロックチェーンの真価
- 繋がりすぎた私たち、発信しすぎた私たち、共有しすぎた私たち
- 情報の︿過剰﹀にも、情報の︿過少﹀にも止まれないジレンマ
- 未来を占うための解は“あいだ”と“ゆらぎ”の中に隠されている
- 「情報」のインターネットから「価値」のインターネットへ
- おわりに
- 初出一覧
- 参考文献
著者紹介
introduction
装丁
binding