概要
summary
今日、疫病の世界的な流行と戦争あるいは国際紛争の多発によって、国家間の分断が深刻化する中、多くの国が他国における自国のイメージを向上させるため、また、それによって自国の外交活動を有利に進めるため、「パブリック・ディプロマシー」(対市民外交)の一環としての文化外交に力を入れている。この文化外交は、1960年代以降の日本では「国際文化交流事業」と呼ばれているのだが、その起源は1930年代に開始された「国際文化事業」にまで遡ることができる。本書では、この「国際文化事業」がどのような目的から開始されたのかを分析するとともに、その時代の「国際文化事業」の内容や枠組・方法が今日の「国際文化交流事業」にどのように継承されたのか、また、戦後日本の文化活動や教育・政治にどのような影響を与えたのかを、言語普及・日本語教育・留学生教育等の多彩な観点と多様な角度から考察する。
目次
contents
- 凡例
- まえがき
第一章 堀田善衛と戦時下の国際文化振興会
- ― 国際文化交流史研究の観点から『若き日の詩人たちの肖像』を読む ―
第二章 日本のオランダ語教育とオランダの日本語教育の変遷
- ― 長崎とライデンを中心に ―
第三章 オーストラリアの日本語教育を日本の新聞はどのように報道してきたか
- ― その100年の変遷 ―
第四章 戦前戦中期にオーストラリアで制作された日本語教科書
- ― とくに、その意図せざる「結果」について ―
第五章 鶴見祐輔と一九三〇年代のオーストラリアにおける日本語教育
- ― 「日本語熱」の発見とその戦中戦後への影響 ―
第六章 中島敦の『山月記』と釘本久春
- ― はたして釘本は「袁傪」だったのか ―
第七章 敗者たちの海外言語普及
- ― 敗戦後における日本とドイツの海外言語普及事業 ―
第八章 戦前戦中期における文部省直轄学校の「特設予科」制度
- ― 長崎高等商業学校を事例として ―
第九章 戦前戦中期における文部省直轄学校「特設予科」の留学生教育
- ― 長崎高等商業学校の場合 ―
第十章 旧制浦和高等学校のアフガニスタン人留学生
- ― どうして彼は浦和で学ぶことになったのか ―
第十一章 三島由紀夫著『豊饒の海』とタイの留学生
- ― 「シャムの王子」たちのモデルは誰か ―
- 参考資料・参考文献
- あとがき
著者紹介
introduction
装丁
binding